弘前ねぷた
津軽の夏を彩る弘前ねぷたまつりは、
三国志や水滸伝などの武者絵を題材とした大小約60台の勇壮華麗なねぷたが、
ヤーヤドーの掛け声と共に城下町弘前を練り歩く夏祭りです。
ねぷた祭の由来は諸説ありますが、「眠り流し」という農民行事説
(眠り流しとは、農作業の忙しい夏季に襲ってくる睡魔という、目には見えない魔物を追い払うための行事です。)
平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に創造したという伝説や、
文禄2年(1593年)7月、初代藩主為信公により、京都で創始という伝承もありますが、
江戸時代元禄期の後半(18世紀初頭以降)、七夕祭りの松明流しや精霊流し、眠り流し、盆灯籠などから変化して、華麗に発展してきたというのが定説となっています。
ねぷたの語源は、「眠り流し」→「ねむた」→「ねぷた」と転訛したのではないかといわれています。
(佞武多、禰ふた、ともいう。)
ねぷたがはじめて記録に登場したのは、亨保七年(1722)の「御国日記」で五代藩主信寿公が「称むた」を高覧したとあります。
近年では、昭和55年(1980年)1月28日から重要無形民俗文化財に指定され、現在に至っています。
江戸時代の記録によると、箱形の灯籠に飾りをつけたり、山車を真似た人物、魚、野菜などの形のものを担ぎ回ったようです。
(1810年前後)この頃、組ねぷた(人形ねぷた)が登場したようですが、今日の青森ねぶたに似た、
高欄や開きのない素朴なものだったようです。
(1882年以降)今日の扇ねぷたや、高欄、見送りのつけられた、本格的な組ねぷたが考案され、出陣をしています。
弘前ねぷたは、昔も今も変わらず、小さいものから順に、型どおりの隊形に従って運行されています。
一般的な隊形として、左右に消防組合名の分団印の弓張り提灯を揚げ、見物人を制しながら先頭をきり、つづいて、各町名を印した高張り提灯を従い、先灯籠(町印)、錫杖持ち、それに町内の面々が続く。
その後に1人持ちの扇灯籠や2~3人担ぎのねぷたなどの小さなものから順に並び、最後に大型ねぷたが運行されます。
ねぷたの後ろには笛や太鼓の囃子方の一団が続き、勇壮な囃子を観衆の心の中に残しつつ、次の町内へと進んでいきます。
<開催期間> 平成22年8月1日(日)~8月7日(土)
・8月1日~4日 : 土手町コース PM 7:00~
・8月5日・6日 : 駅前コース PM 7:00~
・8月7日(なぬか日) : 土手町なぬか日コース AM 10:00~
弘前ねぷた祭りについては
・弘前観光コンベンション協会
http://www.hirosaki.co.jp/htcb/sightseeing/fes/neputamatsuri.html
・弘前市役所/弘前ねぷたまつり
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/matsuri/natsu1.html
・弘前ねぷたまつり
http://www.neputagariya.jp/voda/maturi.htm
・津軽藩ねぷた村
http://www.neputamura.com/