ねぷた絵と構造
ねぷた絵の物語
ねぷた絵は江戸末期の浮世絵の影響を強く受けています。
明治になると勇壮な武者絵が市民に好まれ今日にる。
鏡絵には中国古典ものの『三国志』『水滸伝』『漢楚軍談』
日本ものだと【初代藩主津軽為信】【川中島の合戦】【源義経】など
ねぷた絵の題材は一説によると鐙や鎧などが多くて描きづらい日本の歴史より
中国の歴史の方が描きやすいというわけ。
さて、三国志とは…
元来、普の陳寿が編集した正史の名。「魏(魏)」の曹操、「呉(ご)」の孫権、
「蜀(しょく)」の劉備の3人の英雄が天下を争った、
中国の三国時代の歴史を記している正史である。
ねぷた絵によく使われる三国志の登場人物
・劉備(りゅうび)後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。蜀(蜀漢)の初代皇帝。
・関羽(かんう) 中国後漢末期に劉備に仕えた武将。
・張飛(ちょうひ)中国後漢末期から三国時代に、劉備と彼の建国した蜀漢に仕えた武将。
・諸葛亮(しょかつりょう)中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・武将・軍略家・
発明家。字は孔明。
・趙雲(ちょううん)中国、後漢末から三国時代の蜀(蜀漢)に仕えた軍人。
・孫夫人(そんふじん)三国時代の呉の公主。諱は不詳。孫堅の娘で孫策・孫権の異母妹。
日本に於いては孫尚香(そんしょうこう)の名で広く知られている
・馬超(ばちょう)中国後漢末期から三国時代の蜀漢の武将。
・関興(かんこう)関羽の子(養子)。三国時代の官僚・軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。
・呂布(りょふ) 後漢末期の武将・群雄。三国志関係の物語等では最強の武将として描かれる。
・祝融夫人(しゅくゆうふじん)小説『三国志演義』に登場する架空の人物。
因みに『三国志演義』でも珍しい女武将であるためか、ねぶた祭りの山車として
祝融夫人が題材にされることがある。
・典韋(てんい) 中国の後漢末に曹操に仕えた人物。陳留郡已吾の人。
さて、水滸伝とは…
施耐庵(あるいは羅貫中)が、それまでの講談(北宋の徽宗期に起こった反乱を題材とする物語)
を集大成して創作されたとされる。なお、「滸」は「ほとり」の意味であり、『水滸伝』とは
「水のほとりの物語」という意味である(「水のほとり」とは、本拠地である梁山泊を指す)。
ねぷた絵に使われる水滸伝の登場人物
・九紋龍・史進(くもんりゅう・ししん)天微星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第二十三位の好漢。
登場時は18、9歳。精悍な美丈夫で上半身に9匹の青竜を象った見事な刺青がある為あだ名は九紋竜
・黒旋風・李逵(こくせんぷう・りき) 天殺星の生まれ変わりで、梁山泊第二十二位の好漢。
渾名は黒旋風で、二挺の板斧(手斧)を得意とする。李逵自身の剽悍性とその怪力、
色の黒さからよく「鉄牛」とも呼ばれる。
・花和尚・魯智深(かおしょう・ろちしん)天孤星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十三位の好漢。
渾名は花和尚。花和尚の「花」は刺青を指し、全身に刺青があったことが名前の由来である。
・一丈青・扈三娘(いちじょうせい・こさんじょう)独竜岡三家の一つ、扈家の女将軍。
海棠の花と謳われるほどの佳人でありながら、日月双刀をとってはかなりの腕前。
独竜岡の三家の一つ、祝家の三男・祝彪の許嫁でもある。
・武松(ぶしょう)天傷星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十四位の好漢。
渾名は「行者」で、修行者の姿をしている為。
当初は役人から逃げる為の変装のはずであったが、その後最期まで行者姿で描かれている。
見送り絵
見送り絵は明治時代に鐘馗や関羽が描かれ、大正時代以降は唐美人や虞美人を描くのが主流となり、
鏡絵の勇壮さに対して優美な妖艶さが見送り絵に要求されるようになりました。
見送り絵に対し鏡絵が勇壮なため、せめて見送りは静かに…と言う意味や、
夏から秋への移り代わりを表現しているとも言われる。
ねぷた絵の場所と名前
<鏡 絵>扇ねぷたの上の部分にあたる勇壮な武者絵(表側)
<見送り絵>裏面の扉絵(裏側)
<袖 絵>扉絵の両側の絵(裏側)
<開 き>三角形の部分で鏡絵の受け皿にあたる部分。主に牡丹が描かれる(全体)
<額 絵>開きの下に見える台の部分。正面に雲漢と書かれる(下側)
< 肩 >裏表の絵をつなぐ横の部分。町名などが書かれる(横)
<た め>鏡絵と袖絵の一部、半円になっている部分
弘前ねぷたは8月1日開始なのに対し、青森ねぶたは2日開始であるのは、
弘前は「出陣」で、青森は「凱旋」であるためで、順序は青森が弘前の後になる、と言われている。
(この弘前は出陣、青森は凱旋というのは近代になってからの祭りのイメージであり、祭りとは無関係)
gono